インド一の大都市ボンベイ。都会っぷりもさることながら、なんといっても物価が高い! ここで日本からバカンスに来た友人、はじい&けいちゃんと合流し、インド屈指の石窟遺跡であるエローラ&アジャンタ観光に向かいました

 


ボンベイのシンボルであるインド門。近くで見ると、意外としょぼい(笑)。久々に出会ったふたりと一緒に

 


大都会といえども、やっぱりインドらしさは残ってます。道ばたに置かれたテレビを食い入るように見る人々。日本の昔もこんな感じだったのかしら? やっぱり男性ばっかりなのもインドならでは

ボンベイといえば、このタージ・マハル・ホテルが名高い。今世紀の最高建築のひとつともいえる、豪華絢爛さ! 1903年の完成当時、アラビア海を面して建てられたのが画期的だったらしい

 


夜のタージ・マハル・ホテル。この日はちょうど建設100周年記念のパーティとあって、ライトアップも豪華。世界中のVIPがこのホテルへと消えていくのを外からインド人と一緒に指をくわえて見ていました……。いつかは私たちも! と思わせるホテル

ボンベイのおしゃれスポットといえば海岸沿いのマリーン・ドライブ。80年代チックなネーミングには思わずプププとなるけれど、インドらしからぬこの爽快な景色はブラブラ散歩していて実に楽しい

 

マリーン・ドライブ沿いではココナッツ売りのおじさんが仕事に精を出してました。ちなみに一個12ルピー。やっぱりボンベイは物価が高い!
歩いていると、どこからともなくブラスバンドの音色が。どうやらお金持ちの人の結婚式のよう。愛嬌たっぷりなカメラ目線のトランペットおじさん。こういう「職業ブラスバンド」が普通に仕事をしているのもインドならでは

 


ところ変わって、エローラ遺跡に到着。世界遺産にも指定されているこの遺跡は、広大な敷地に30以上もの石窟寺院が並んでいる


石窟寺院は岩山をくり貫いて建設されている。大小さまざまな寺院が奥から第1窟〜34窟まで整然と並んでいる。まるで石窟のアパートのよう

 


インドにおいて仏教が衰退してきた7世紀〜8世紀にかけてに建てられたのが第1〜12窟。写真は中でもいちばん大きな第5窟。内部はひんやりしていて気持ちがいい

タッチ&ムフフ顔。ありがたい遺跡に、こんなことをしてはいけませんよー

 

といいつつ、座り心地のよさそうな仏様を見つけるとついつい私も……。日本の仏像と違うのは、彼らは座禅を組んでいないこと。ほとんどがダラリと足を垂れて座っていました
石窟寺院はひとつひとつ個性があっておもしろい。こちらは2階建て仕様。こんなアパートに住んでみたいものです

 

インドといえばヒンドゥー教が有名ですが、もともとは仏教の興った国。仏様の顔立ちもなんとなくエキゾチック

石窟寺院は建設途中で放棄されたものも多い。こちらは3階建ての大規模なものながら、外側部分の装飾が未完成で、おばけアパートのよう

 


おばけアパートの中を見てみると、明らかに彫りかけの装飾が残っていました。世界中の芸術家に「この続きをやりませんか?」と呼びかけたら、おもしろいものが出来そう


第13窟〜29窟は9世紀頃に造られたヒンドゥー教寺院。仏教窟と比べると、装飾がデコラティブでゴテゴテしている


 

上から見た第13窟の入口。この建物は彫刻が美しく、シヴァ神やらパールパティやら牛やらがところ狭しと舞っていました

こちらがエローラ観光のハイライト、第16窟。これだけの規模の寺院を石の中からくり貫いたとは、インド人おそるべし。奥行き81×幅47×高さ33メートルの、まったく継ぎ目のない、世界でも類を見ない建築物だ

 


下から見上げると、はるか上にてっぺんがある。上からどんどん掘り抜いていったらしいが、最初から完成形が見えていないとできない壮大な作業だろう


第16窟、カイラーサナータ寺院のご神体はヒンドゥー教おなじみのリンガ。下の巨大な桶が女性器を表し、突き刺さっている棒が男性器を表す。これだけの規模の寺院に祀られているのがコレだから、なんというかヒンドゥー教は奥が深い

 


カイラーサナータ寺院は、完成当時、壁面も内部もすべて彩色されていたらしい。いまでは柱の一部にかすかに残っているものを見るだけだが、当時はまさに豪華絢爛な寺院だったのだろう

「人間の力ってのはスゴイねえ」と言いながらの記念写真。まさに圧巻、の遺跡です

 


この寺院は壁画の彫刻もスバラシイ。それぞれに物語があり、緻密に細部まで掘り込まれている。脇にはちゃんと塔も建っていて、造形的にも完璧!

例によって例のごとく、見学に来ていたインド人学生に取り囲まれ、一躍人気者に。このあと、握手やらサイン(!)やらを求められてしまいました

 


翌日、アジャンタ遺跡へ。沿道にはヒマワリが咲き乱れ、のどかな田舎が広がっていました。かつては「忘れ去られた遺跡」であったことを彷彿とさせる風景
沿道にあった小さな農村におじゃましてみました。のんびりしてて、ゆったりしてて。かつてガンジーが「インドは農村にあり」と言った言葉が思い出されます

 

ちょうどお昼どきだったせいか、台所でお母さんがせっせとチャパティを焼いていました。「ホラ、食べなさい!」とすすめられるままにほおばると、これが実に美味。農村の人は本当においしいものを知っているんですな

インドといえばインド綿が有名。畑にはちょうど綿をいっぱい付けた実がはじけていました。これが布になって洋服になって日本に輸出されたりすることを考えるとなんとなく不思議

 


インドの牛はただダラダラしてるだけではありません。農村ではこんな風に大活躍しているお牛さまだっているのよ〜。暑い日ざしにもめげず、せっせと働く夫婦


いよいよアジャンタ遺跡に到着。こちらもアパートのようにいくつもの石窟が並んでいる。この規模の遺跡が1819年にイギリス人騎兵隊上官によって発見されるまで1000年以上も眠っていたというのだから、なんとも夢のある話だ

 


アジャンタの遺跡を有名にしたのは、そのすばらしい壁画だ。しかも紀元前1世紀のものと紀元5世紀のものという古代のものが残っているところもポイント。石窟寺院内部いっぱいに広がる壁画はインドの絵画が古代から発展していたということを証明している
アジャンタ石窟群のハイライトのひとつ、第一窟。蓮華手菩薩の美しさには、ついつい目が引き込まれてしまう。この菩薩像が日本の法隆寺金堂内陣の装飾のオリジナル。文化のルーツをまざまざと見ている気がした

 

5世紀に造られた第2窟は、保存状態もよい。天井にもまばゆい装飾がなされていて、実にゴージャス。インド文明が輝いていた黄金期に、膨大な財力をかけて作られた寺院だということがわかる
壁画もさることながら、中にある仏像もいい。こちらは日本にもあるような座禅を組んでいる仏様。やっぱり顔がエキゾチック

 


壁からは仏様がすっくと立ってこちらを迎えてくれる。人知れぬ渓谷にひっそりとここに仏様がいた時代を想像すると、なんだかシュールな気分に……
アジャンタの壁画に並んで印象的だった、紀元前1世紀に立てられた第9窟のストゥーパ(仏塔)。このストゥーパは仏教表現のない時代に信仰の対象となったもの。原始宗教の不思議なオーラが漂っていた

 


第16窟の有名な壁画、「Dying Prencess」。ダンナが出家すると知って、ビックリして気絶してしまったところ。アジャンタの壁画の主人公はやっぱりみなエキゾチックで、見栄えがする
こちらは飛天のカップル。日本の寺院ではあんまりこういうセクシャルな彫刻は目にしないから、なんとも新鮮

 


仏教表現が文化として伝わってくると、前出のシンプルなストゥーパから仏像が彫られたストゥーパになる。内部の装飾が絢爛でスペイシーな第26窟。最後まで開窟作業が行われていたが、未完成のまま放棄されてしまった

第26窟の壁面に彫られた無数の仏像。ライティング効果もあって、幻想的な気分になる。どの仏像も手や体の一部が破損していて、それがまた時代を感じさせる

 


壁画の中にはこんな西欧風の天使像も。当時腕を振るったインドの絵画師が幅広い作風と知識を持っていたことがうかがい知れる意外な一面